■事務所膨張期

平成12年から平成19年まで(49才から56才)

 50台を前に、牧歌的安定期に安住してよいかとの思いがふつふつと沸いてきた。平成11年に新井弁護士を迎えたが、このころまでは、単に、勤務弁護士が1名増えただけであり、特に、事務所を大きくする考えもなかった。このままで終わっていいのかを自問自答し、悩んだ末に、事務所をどれだけ拡張できるかに挑戦してみることにした。

 平成12年、徳田弁護士を採用し、弁護士4人体制にした。弁護士4人にしたのは、土曜相談を常設相談にしたかったからである。弁護士が4人いれば、ローテーションを組み、1ヶ月に1回土曜に出ればよく、それほど、負担がなく土曜相談ができると思った。当時は、土曜日に法律相談までしようとする弁護士はいなかった。夜間の法律相談をすることもまれであった。平成12年は、弁護士広告が解禁になり、当事務所でもHPを立ち上げた年である。現在は、HPを設けることがあたりまえであるが、当時は、HPの効果については疑問と考える人が多かった。私は、HPの効果については、大いに期待していて、自分で、本を読みながら作成した。また、事件を受任しても、これを処理しなければ報酬にもならないので、その処理、特に、サラ金事件の処理のうち、機械作業の部分の省力化を図るために、データベースを勉強し、サラ金処理システムを作り上げた。これによって、いままで敬遠気味であったサラ金事件を苦痛なくできるようにした。
 従来、勤務弁護士が法律相談センター等で受任した事件は、事務所事件と区別し、その報酬は勤務弁護士が取得するのが普通であった。しかし、これをやっていては事務所を大きくするための費用が捻出できないので、すべて事務所の収入にしていただいた。このようにして、事務所の基盤を築き、これをもとに、事務所拡張のための費用や新人弁護士の雇用するための資金とした。

 とはいっても、これまで本来の弁護士業より、消費者事件などの趣味的事件に力を入れ、事務所を半年くらい閉めるなどをやってきたので、決まった顧問などはなかった。しかし、顧問はなくても、事務所を拡張し、多くの弁護士や事務員が生活できる事務所にしたかった。そこで、これまでは、紹介のない事件は受任しないのが通例であったが、一見のお客でも積極的に受任することとし、法律相談センターや行政の相談から、さらには、タウンページやホームページから積極的に事件を受任するようにした。当時は、弁護士業界は発展期であり、弁護士を増やせば事件が増えるという状況であった。そこで、平成14年に八木弁護士と佐野弁護士2人、平成16年に大澤弁護士と船津弁護士2名、平成18年に天野弁護士と若井弁護士2名をそれぞれ増やした。そして、平成18年には、弁護士8名を擁するまでになった。
 とここまでは順調でしたが、その後の伸び悩みと新しい道の開拓については、続きが書けるようになったら書きます。