■独立期昭和53年から昭和60年(28才から35才) イソ弁期には、とにかく仕事に追われ、仕事に追いかけられてきた。その原因は、簡単にいうと、仕事に割く時間をとらなかったことにつきる。 独立するにあたって、当時は、今と違ってそれほどの独立資金は必要なかった。当初は、エレベーターを降りて、さらに1階階段を上がったところでわずか9坪の事務所を借りた。事務機器は、コピーとタイプが主な機械で、中古の家具屋さんから中古の机やいすやソファーを買い、開業した。たしか、独立資金としては200万円くらいであり、借金をすると食っていけなくなるので、貯金を下ろしてこれに当てた。また、事務員を雇っても、給料を払える見込みがなかったので、妻に事務員をお願いした。妻に事務員をお願いして三ヶ月も経たないうちに、妻が妊娠していることがわかり、事務員を雇うことにした。(この事務員が現在の事務局長である) この時期は、とにかく時間が有り余るほどあり、一日の仕事は午前中でほとんど片づき、午後は法律相談に行くか、昼寝をするか、小説を読むかであった。そして、5時の時報が鳴ると同時に事務員と先を争って帰宅していた。 丁度、この時期に、子供が次々生まれ、四年で三人とつながったので、とにかく、子育てを中心にした生活であった。この時期に印象に残る事件はほとんどなく、可も不可もない極めて小市民的活動をしてきた。 そして、弁護士10年目を迎え、豊田商事事件と巡り会ったのである。 |
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