■中学校

1963年(昭和38年)4月地元の公立中学校に入学。
通信票の記載をもとにまとめてみました。

1年生

身長・体重 記載なし 成績平均 4.67
【先生からの通信】
7月「たたけばたたくほど伸びる能力を持っている。はじめの中は消極的な面がみられたが、今では申し分ない。現在の気持を忘れることなく、どんな立場においても頑張ってほしい。学級代表 陸上競技」
3月「学習、生活態度ともに申し分ありません。現在の力を持続することを望みます」
【私の記憶】
「中学校になり、環境が変わったので、4−5月で11日も休んでしまった。環境に慣れ、順応する能力は弱いようである。小学校の6年のころ、私立を受験すべく、塾などに通ったが、受かるまでに至らず、私立は断念し、そのかわり、家庭教師をつけてもらった。このおかげで、1年の英語は中学校に上がる前に終わっていたなど勉強を先行していたおかげで、中学の勉強には難なくついていくことができた。部活は、足に自信があったので、陸上部に入部した。」

2年生

身長159.8p 体重 52.8s 成績平均 5
【先生からの通信】
7月「学級代表としてクラスのために活躍してくれてありがとう。なんとかクラスもまとまってきたようですね。この貴重な経験を忘れないでください。学習面では油断禁物を忘れずに努力してください。」
12月「生徒会役員(会計監査)生徒会役員として種々いそがしいと思いますが、学習も忘れずに、しっかり頑張ってください。」
3月「この1年間、クラスの中心になって活躍してくれたことを感謝します。」
【私の記憶】
「学校になれ、常に学級代表を勤めていました。学校全体でも、生徒会役員にも立候補し、末席ではあったが、生徒会役員を務め、陸上部もそこそこやっていました。しかし、慢心があり、中間・期末試験も一夜漬けでも結構成績が取れたので、あまり勉強をしませんでした。常に、学級代表をしていたことで、横暴になったこともあったようです。」

3年生

身長165.1p 体重 56s 成績平均 4.6
【先生からの通信】
なし
【私の記憶】
「前年に引き続き、勉強も部活もそれなりにしかしませんでした。成績は下降気味でしたが、貯金があり、高校受験には心配していませんでした。いまから考えると、慢心していたことと、その習慣が身についてしまったと思います。このしっぺ返しを高校でくうとは思いませんでした。このころ、漫然と弁護士になりたいとの思いを抱くようになりました。なぜ弁護士になりたいと思ったかはよく思い出せません。ただ、数学が苦手で、大学に行きたいと考えていたこと、父の銅鉄商の仕事は継ぎたくないと思い、父にも宣言していたこと、親戚に弁護士になったらよいと言われ、弁護士の仕事もよくわからないままあこがれていたことがあったと思います。もし、弁護士の仕事の内容を理解していたら、人前で話しをすることが好きでなかった自分の性格からこのような望みは持たなかったと思います。今は、弁護士が天職と考えていますが、当時の性格等からは全く似つかわしくない選択だったと思います。」