山本安志法律事務所 − 事務所ニュース |
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4号(2001年12月発行) |
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巻頭言 ◆ 弁護士 山本安志弁護士業務の広告が解禁され、1年が経ちました。当事務所では、事務所報「さわやか」、ホームページ、タウンページなどで、弁護士事務所・弁護士業務の広報に努めてまいりました。弁護士との垣根が低くなり、皆様にとって弁護士・法律事務所が、より身近な存在と感じられるよう、私達はこれからも努力していきたいと思っております。来年も、皆様にとってよいお年でありますように。 <特集> 裁判所までひとっ跳び:弁護士に依頼した事件どうなるの?家事離婚事件 病院の破産管財事件 − 弁護士 山本安志今年7月末,病院の破産管財事件を引き受けました。裁判所からは,「この病院には60名のご老人の入院患者がいて,病院の運転資金は400万円しかありません。引き受けてくれませんか。」と言われました。私は,この仕事を引き受けようと思いましたが,入院患者の転院先が全然決まっていないことに頭を抱えてしまいました。わずか400万円では,入院患者の給食代にも事欠き,無事転院するまで病院を維持できるか不安だったからです。 私は,まず,病院の責任でできる限り転院先を確保してもらうこと,行政にも転院先確保に協力してもらうこと,病院の医師や看護婦さんに療養介護を継続してもらうことをお願いしました。これらの準備をしてから,破産管財人をお引き受けしたのです。破産管財人に就任してからは,病院の債権回収をしたり,診療所の営業譲渡をするなどして,病院の当面の運転資金確保に綱渡りの毎日が続きました。また,病院の医師や看護婦さん,事務職員の方々が,入院患者の転院手続に尽力してくれ,幸い,2週間ほどで,転院手続きを終えることができました。 しかし,ほっとする暇もなく,今度は数億円で病院を買いたいという人々が押し寄せてきました。ブローカーや医療法人などから様々なお話があり,その後二週間はこれに振り回されてしまいました。結局,病院の建物を賃料不払いで明け渡さざるを得ず,病院の存続ができなくなり,病院自体の処分はできませんでした。こんなバブルな話があるとは信じられない思いでした。 当初はとても困難に思われたこの事件も,多くの人々の善意と協力により解決の目処がたち,来年早々には終わることができそうです。大変やりがいのある事件でした。こういう事件にめぐり会えるから弁護士はやめられないのです。 「未来への扉」の紹介 − 弁護士 井上 泰昨年12月22日に横浜地裁で和解が成立し、完全解決したココ山岡事件について、この度、神奈川被害者の会が自分たちの目で見たココ山岡訴訟の記録をまとめた本「未来への扉・かもめ達の記録」が自費出版されました。ココ山岡は、通行人として歩いている20代を中心とする若者を、アンケートを装ったキャッチセールスで店舗に連れこみ、長時間に渡る数人がかりの執拗な勧誘と「5年後には現金価格が戻ってくる。1種の預金のようなもの。」という5年後買い戻し特約を切り札として、高額なダイヤモンドを売りつけていました。ところが、平成9年の1月にココ山岡は突然倒産したのです。5年後に現金が戻ってくることと、その場を何とか逃れたい一心で、信販会社との間で年収に匹敵するようなローンを組まされた若者達は、クレジットを支払いつづけたとしても現金が戻らないことを知り、途方にくれることとなりました。 全国において弁護団が結成され、クレジットを組んだ信販会社に対して、詐欺によるクレジット契約の取消や、信販会社の加盟店管理監督責任の追及を主として、平成9年10月に全国一斉提訴を行ないました。被害者は全国で最終的には9300名、神奈川だけでも1100余人となる、大型消費者被害訴訟となりました。神奈川被害者の会(かもめの会)は、平成9年8月に発足し、約3年間に渡る訴訟の間、法廷傍聴を中心に活動し、被害者の会通信を編集発行するなど、弁護団と共に歩んできました。被害者の会の幹事の人達は、仕事の合間を縫って、また土・日・祝日などを使い、被害者の会として何が出来るかを常に真剣に考えながら、弁護団のバックアップをしてくれました。 この本には、裁判なんて自分とはまったく縁が無いものと考えていた若者が、なぜ詐欺的商法の被害者となったのか、ココ山岡の倒産による被害に対してどのように声をあげ、団結し、裁判を通じて何を感じ行動したかが、等身大の言葉で記録されています。「ダイヤモンドが手元にあるのになぜ被害者なのか」という厳しい声に対し、自分たちが詐欺的商法の被害者であることを理解してもらうことが、いかに難しかったのかについて、彼らの視点で記録されています。この本は、月2回以上の編集会議を繰り返し、裁判の終結後約1年をかけて作成されました。 プラハ旅行 − 弁護士 新井聡子今年の夏は、ちょっと足をのばして、チェコの首都プラハに行ってきました。ご存知の通り、チェコ共和国は、苦難の歴史の末、1989年ビロード革命により民主化した国です。ですから、入国する前は、ちょっと暗いイメージを持っていたのですが、心配には及ばず、プラハは活気に溢れた素晴らしい街でした。 まず目を引くのは、ビールを飲む人の多いこと。それもそのはず、チェコはラガービール発祥の地です。昼間の11時くらいからレストランのテラス席で老若男女が大きなジョッキでビールをおいしそうに飲んでいます。ビール好きの私ももちろん存分に飲んできました。ピルスナーウルケルというコクのあるビールがその代表なのですが、日本に帰ってから日本のビールを少し物足りなく感じたくらいです。そして、最も素晴らしいのはその街並みです。重厚な建物が立ち並び、その間を石畳の道が続いています。石畳の道も歩きふるされていて、でこぼこなのです。ハイヒールではとても歩けないような道で、スーツケースを運ぶのも一苦労でした。でも、昔からの遺産を大事にしながら生活しているプラハの人々をうらやましくも思いました。 さて、やはり旅の楽しみは食事です。チェコの代表料理は、クネドリーキという小麦粉を練った蒸しパンのような食べ物です。肉料理の付け合せに出てきます。全般的に日本人にはあまりなじみのない味付けも多いのですが、夫は感激の様子でおいしそうに食べていました。 釣紀行 − 弁護士 徳田 暁先日,東京湾金沢八景から釣船に乗ってアイナメを釣りに行ってきました。シロギスの釣船には,何度か乗ったことがあるのですが,アイナメは初めてだったので,当日は,釣れるかどうか不安でした。案の定,午前中は全然釣れず,釣れてもベラばかり…。若船頭さんが,一生懸命釣り方を教えてくれているにもかかわらず,覚えの悪い僕にはアイナメはなかなか釣れず,時間ばかりが過ぎていきます。 しかし,「まあ,初めてだから仕方ないな」と思いかけていた昼過ぎ,突然ズシッという重みとともに竿が折れ曲がりました。そして,海面から顔を出した魚はなんと30センチくらいあるアイナメ!ぷりぷりと太っています。若船頭さんありがとう! 釣ったアイナメとベラは持ち帰って,アイナメは刺身に,ベラは南蛮漬けにしました(ベラは関東では食べない人が多いのですが,関西では高級魚なのです)。おいしかったなぁ。 当日は,朝方の小雨交じりの天気も昼前には回復して釣り日よりに! 久しぶりにリラックスできて,よしっ,これからも,釣りを,もちろん仕事も,頑張ろうと思った1日でした。
<お題> 長い夜をArtisticに過ごしていますか?冬の夜長の一人舞台 − 事務局 T今の姿からは、全く想像できないでしょうけれど、子供の頃の私は、いろんなアレルギーを持っていて、小学校卒業の頃まで「小児喘息」という病気を抱えていました。食べる物は勿論、激しい運動も制限され、生活全体は、厳しい管理に覆い尽くされていたのです。 試写会 − 事務局 Hいつ頃見たかは、もう忘れてしまいましたが、ある日雑誌を見ていたら、『よく「試写会」に行っています。ここ数年、自分でお金を払い映画を観たことはありません。1本映画を観るのに、1800円も払うのは痛いです』という、読者からの投稿が載っていました。私はこれを読んで、映画をタダで観られるなんて、「うらやましい〜!! 私も試写会に行きた〜い」と思ってしまいました。 心に残る言葉 − 事務局 AM私は小学2年生から6年生まで絵画教室に通っていました。5年間ほとんど休むことなく通ったのにもかかわらず、私の図工の成績はいつも最低の評価でした。 ファンクラブ − 事務局 YK私は、今いくつかのファンクラブに入っています。 実務修習 − 55期修習生 今、私は山本先生の事務所にお世話になっていますが、これは司法修習の中の実務修習というカリキュラムです。 |
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