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タイトル裁判の傍聴
記事No2575
投稿日: 2008/05/05(Mon) 09:23
投稿者もも
友人がご主人から離婚裁判を起こされたそうです。
心配なので裁判を見に行こうと友人達で話しているのですが、
離婚裁判は誰でも見に行くことができるのでしょうか。
見に行ける場合、手続きなど大変ですか。

タイトルRe: 裁判の傍聴
記事No2576
投稿日: 2008/05/05(Mon) 23:51
投稿者一般人
> 友人がご主人から離婚裁判を起こされたそうです。
> 心配なので裁判を見に行こうと友人達で話しているのですが、

訴えられた友人が、来て欲しいと言っているのですか??
ご心配なのかもしれませんが、
のぞかれたくないプライバシーもあります。
訴えられた友人に確認したほうがいいと思います。
また、傍聴に行ったところで、あなた方は何もできません。

ましてや弁論準備は、当事者以外は傍聴できません。
弁論日は傍聴できますが、書面のやりとりだけなので傍から傍聴しても内容はわかりません。
当事者尋問のとき、傍聴できる場合が多いですが、
あなた方が傍聴していることは、友人と友人の夫にばれます。
いい気持ちがしないのが通常心理と思いますが。
友人であっても、裁判では嘘も平気で主張しあうので、踏み込みすぎるのはどうでしょうか・・・。

> 離婚裁判は誰でも見に行くことができるのでしょうか。

弁論準備は傍聴できません、口頭弁論や当事者尋問なら傍聴できる場合が多いです。でも非公開になっていれば無理です。

> 見に行ける場合、手続きなど大変ですか。

手続きなど何もありません、法廷に入るだけです。身分証の提示はありませんが、あなた方の顔は、友人や友人の夫および代理人弁護士にバレます。

タイトルRe^2: 裁判の傍聴
記事No2577
投稿日: 2008/05/06(Tue) 09:32
投稿者山本安志
離婚は、当事者間の問題なので、できるなら、
行かないほうがよいかと思います。
友人は、友達がきていることで、力強く
思うことはあるかと思いますが、真実を
友達の前では、素直に語れない可能性も
あります。
また、相手方にとっては、よい印象を
もたないこともあります。

離婚は、あくまでも、当事者同士の問題
あまり、第三者が入ってうまくいったことは
ありません。

タイトルRe^3: 裁判の傍聴
記事No2580
投稿日: 2008/05/07(Wed) 12:41
投稿者もも
皆様、ご回答ありがとうございます。
相手は弁護士をたてているのですが、
友人は今のところ、本人だけで頑張るという事で
見に行く事が可能なら後ろから見ていて欲しいという話だったので、
友人と行こうかと思っていたのですが、やめた方が良いのですね。
本人に伝えます。

全然関係の無い人が裁判を傍聴する事があるようですが、
離婚裁判みたいな小さなものでも知らない人が見に来る事は
あるのでしょうか。

タイトルRe^4: 裁判の傍聴
記事No2586
投稿日: 2008/05/11(Sun) 17:22
投稿者すみれ
横から失礼します。結婚暦はありませんが。

私は、公開裁判なら傍聴し相互に理解を深め考えていくチャンスを
与える場だと思っています。

離婚は大変なエネルギーを使うものだと思いますし、裁判は法的に
紛争を解決していこうとする場。
当事者同士は、感情が高まる時期に自己の考えのどこが間違っているのか、知りたいと思っていると思います。
夫婦だけしか分からない問題ごとや愛憎を整理し、今後の将来を見据えていくために、自己主張を公平に清算してもらう場だろうと思います。
その為に、傍聴してもらう友人がいれば、弁護士がいない当事者にとって励みは大きいだろうと思います。
互いに、自己を整理し法的に解決していく場、という一歩進めた形が裁判ですから。
そこには、女性の権利や男性の権利、性的能力の違いの公平さや、それまでの夫婦の共同支援や責任の度合い、などなど、社会的問題として捕らえるべき議論の素材があり、当事者もその基準を知り、自己主張と公正な裁判に臨んでいこうとしているのが深層心理にあると思います。

友人の傍聴は、その意味で大きな支援者となってくれることを望まれているという考えもあるのではないでしょうか。
裁判に立つ当事者とは、自己の考えや権利や義務などを整理してもらうことにあると思っています。

タイトルRe^5: 裁判の傍聴
記事No2587
投稿日: 2008/05/11(Sun) 18:04
投稿者山本安志
一つの考え方なので、否定はしません。

但し、私の経験からいうと、一般的には
止めておいたほうが無難だと思います。

当事者間の問題に第三者が入るのは
嫌われるのが一般的な感情です。
例えば、夫婦間の問題に、舅や姑が入る
また、互いの兄弟が入るなどの場合は
うまくいかないのが多いと思います。

第三者の友人も同様でしょう。
それが原因でもめたら、どうするのでしょう。
たとえ、本人からの要請であっても、もめたら、
あとの友人関係が壊れることだってあります。

タイトル距離感を大切にしたほうがいいと思います
記事No2592
投稿日: 2008/05/14(Wed) 05:28
投稿者一般人
私も、横から失礼致します。

> 私は、公開裁判なら傍聴し相互に理解を深め考えていくチャンスを
> 与える場だと思っています。

すみれさんが、そう思う、というだけのことだと思います。
全ての人が、そう思っているわけではないと思います。


> 当事者同士は、感情が高まる時期に自己の考えのどこが間違っているのか、知りたいと思っていると思います。

すみれさんのお考えが、そうだということはわかりますが・・・
全ての人が、すみれさんと同じお考えではないように思います。
それに・・そもそも自分の考えの間違いとかど〜とかって・・・そういう問題ではないと思いますが。そのとき、その当事者にとっては、そのような景色がみえていて、そのような考えだったというだけのことです。正しいかどうかは、判断する人次第かなと思いますが・・。

> 夫婦だけしか分からない問題ごとや愛憎を整理し、今後の将来を見据えていくために、自己主張を公平に清算してもらう場だろうと思います。

必ずしもそうではないと思いますが、すみれさんは、そう考えていらっしゃるということだと思います。ももさんの友人がどう考えるかは、また別と思います。

> その為に、傍聴してもらう友人がいれば、弁護士がいない当事者にとって励みは大きいだろうと思います。

すみれさんのお考えがそうだということはわかりますが、ももさんの友人が、すみれさんと同じに思うかどうかはわからないと思いますが・・。
ま、少なくとも私は、すみれさんのようには考えないです。

> 互いに、自己を整理し法的に解決していく場、という一歩進めた形が裁判ですから。

そうでしょ〜〜か??少なくとも、訴えられた側のももさんの友人は、そういう考えになる可能性は低いようにと思います。法的に解決したいと思ってる人というのは、訴える側の人ですから。

> そこには、女性の権利や男性の権利、性的能力の違いの公平さや、それまでの夫婦の共同支援や責任の度合い、などなど、社会的問題として捕らえるべき議論の素材があり、当事者もその基準を知り、自己主張と公正な裁判に臨んでいこうとしているのが深層心理にあると思います。

すみれさんがそう思うってだけでしょ。
こんな仰々しいこと、考えてない人は、たくさんいます。

> 友人の傍聴は、その意味で大きな支援者となってくれることを望まれているという考えもあるのではないでしょうか。

支援の意味が違うように思います。初回に書きましたが、傍聴したって、な〜〜んにもわかりませんよ??事件記録を全部読み込んだところで、ももさんの友人の夫婦のことなんて、一面しかわからないものです。傍聴に、そ〜〜んなに大きな意味はあるとは思えませんが・・・。

> 裁判に立つ当事者とは、自己の考えや権利や義務などを整理してもらうことにあると思っています。

そのように考える人ばかりではないですし、仮にそうだとしても、そのことと、傍聴することの合理的理由にはなりえていないように思います。

山本先生はお優しいのですね。。。私は、すみれさんの意見を読んだ時、それをいえるのは、ももさんの友人だけなように思いました。
ただ、私見として、もう少し、距離間を大切にしてお付き合いしたほうがいいように思いました。
支援と依存。干渉は違うように思います。